組織の成り立ち・沿革
京都大学医学部附属病院放射線医学講座の歴史は、1919年(大正8年)の中央レントゲン室の創設に始まり、1938年(昭和13年)中央レントゲン室は理学的診療室と改称され、1944年(昭和19年)勅令第515号をもって理学的診療学講座となりました。
1945年(昭和20年)末次逸馬が初代教授に任命され、1949年(昭和24年)理学的診療講座は放射線医学講座と改称されました。その後、1951年(昭和26年)に福田正が2代目教授、1972年(昭和47年)には鳥塚莞爾が3代目教授に任命されました。1976年(昭和51年)には核医学講座が設置され、鳥塚が核医学講座の初代教授に就任しされました。
1977年(昭和52年)に阿部光幸が第4代放射線医学講座の教授に就任しました。
教室においては、線量分布の局在性改善のため、1964年に手術中に放射線治療を実施する術中照射法を開発し、後に国際学会が創設されるまでに発展しました。加温による放射線治療の生物効果を高めるため、1979年に加温装置第1号機を開発、改良型をThermotron RF-8と名付けました。この装置は、現在保険適用となっている温熱療法の礎となっています。さらに、病巣の位置を三次元的に把握するため、CTシミュレーターを1987年に島津製作所・NECと共同で開発しました。現在、CTシミュレーターは高精度放射線治療に必須であり、世界の大半の放射線治療施設に導入されるに至っています。
1995年(平成7年)に平岡眞寛が放射線医学講座(腫瘍放射線科分野)教授に就任しました。
生物学的アプローチによる研究として、細胞増殖と血管新生の不均衡に起因する「低酸素領域」の研究に取り組んでおりました。腫瘍全体の悪性化を抑え、放射線治療等の効率を高めるための、固形腫瘍内の低酸素がん細胞を効率よく攻撃する新たな手法として、低酸素がん細胞のイメージング・ターゲッティング研究に取り組んできました。
腫瘍を標的とする物理工学的アプローチによる研究として、強度変調放射線治療(IMRT)、定位照射(SRS/SRT)、画像誘導放射線治療(IGRT)などの最先端高精度放射線治療の基礎的研究と臨床応用を行いました。また、企業と共同で四次元放射線治療機器開発も進め、2002年には三菱重工業・先端医療センターとの産学連携にて国産放射線治療装置Vero4DRT(MHI-TM2000)の開発を始め、2010年に臨床稼働しました。この装置を用いて、2011年に世界初のリアルタイムモニタリング下での肺がんの動体追尾放射線治療を、次いで2013年に動体追尾強度変調放射線治療を開始しました。高精度放射線治療の発展と四次元放射線治療の普及に多大な貢献をされました。
2016年(平成28年)に、溝脇尚志が放射線腫瘍学・画像応用治療学分野教授に就任しました。日立製作所との共同研究によって次世代機OXRAYを開発や、放射線治療装置のコーンビームCTを使用して日々の腫瘍や臓器の位置に合わせた最適な治療計画を行う即時適応放射線治療など高精度放射線治療の開発と普及に取り組んでいます。また、RI内用療法(核医学治療)においては、甲状腺癌・バセドウ病に対する放射性ヨード内用療法に加え、RI治療病床数を3床から5床へ拡充し、2022年3月より神経内分泌腫瘍に対するペプチド受容体核医学内用療法(PRRT)も開始しております。
京都大学医学部附属病院の3つの基本理念に従い、標準治療を超える質の高いがん治療を安全に提供し、放射線治療に関連する新しい医療技術の開発とそれらの臨床展開を通して患者さんと社会への貢献を目指します。また、人格・医療技術・創造性を併せ持った医療人の育成に努め、関連病院のみならず全国へ優秀な放射線腫瘍医を供給し、質の高い放射線治療の全国への普及に寄与します。加えて、術中照射法、温熱療法装置、CTシミュレーター、動体追尾照射機能を有する画像誘導放射線治療装置などの新規の治療法や治療機器を世界に先駆けて開発してきた教室の伝統を引き継ぎ、放射線治療技術開発においては、国産の放射線治療装置の維持・発展と世界最先端の放射線照射法の開発とそれらの臨床展開に注力します。また、トランスレーショナルな放射線生物学研究を強化し、放射線治療における新しいアプローチの開発を目指します。